議論の勝ち負けなんてカンボジアでは意味がないと学んだ

2017年6月20日 プノンペン現在スコール

togetter.com

本日、カンボジアプノンペンは今雨でスコールだよとカンボジア人の友人からLINEが飛んできた。

 

スコールが降るとほとんどの工事は中止で、脱北者がギッシリつまったコンテナみたいに労働者を詰め込んだトラックがじきにプノンペン市内を走り出すと思う。

 

そういえば、1ヶ月のカンボジア旅行でラスト3日になった時、私がアンコールワットに行くかどうかで彼女と議論になったことがある。

 

私は正直仏教文化にあまり興味が無く、そのへんの遺跡や博物館を見ても退屈するばかりだった。

 

だから私としては行きたくなかったのだ。

 

だけれども、彼女は友人としての忠告として、世界遺産であるアンコールワットをせっかくだから見ておいた方がいいと親切に言ってくれたのだ。

 

ただ私の性格が天邪鬼であり、行ったほうがいいと言われるとなおのこと行きたくなくなる。

 

そんなに深い意味ではなかったのだけれども、うっかり、博物館も遺跡も退屈だったと言ってしまったのが、彼女を少々ヒートアップさせたのだろう。

(もしかしたら私の英語がへたくそ過ぎて、よっぽど嫌味な言い方になったのかもしれない。)

 

彼女は英語の苦手な私のために、日本語を交えながら、アンコールワットの良さを説明してくれた。

 

ちょっとめんどくさいことになったなあと思いながら、激甘コーヒーをストローですすっていると、ラッキーなことにスコールが振り出してくれて、ありがたいお話の続きを聞かなくてすんだ。

 

たぶん彼女の言った「世界遺産を1度は見ておいたほうが経験になる。」というのは正論なんだと思う。

 

だけれどもそれで私は動かなかったから、私の勝ちなんじゃないかな(笑)

 

ネット上の議論は意味が無いから楽しいんだと思う

www.hatena.ne.jp

検索結果は「クジラックス」です。

 

クジラックス先生のロリ漫画「がいがあかうんたぁ」という漫画の手口をマネした事件が起きたことが、今まさに騒がれている発端です。

 

冒頭で紹介したまとめと共通していると私が思っているのが、

 

「たぶん皆、目的を決めない議論が好きなんだろうなぁ」ということ。

 

フェミニズムの議論にしてもクジラックス議論にしても、話し合った結果どういう方向に社会が進んでいって欲しいんだろうとか、どういう活動を今から起こしたいんだろうという目的が見えてこない。それかとてもふんわりしている。

 

議論で一番難しいのは、相手の論理の矛盾をつくことではなくて、1番すばらしい妥協点を見つけることだと私は思っている。

 

だけど1番楽しいのは相手の矛盾を見つけてつつきまわすこと。

 

矛盾なんてどんなすばらしい今まで何十年も信じられてきた理論でも存在するのに。

 

私自身も中学時代くらいまで、ネット、特に2chやニコニコの右翼系動画にはまったりしていたので、矛盾をついたり相手を否定したりする気持ちよさがすごくわかる。

 

「正義」という麻薬が脳みそからドーパミンを放出させて、メチャクチャいい気分になるんですよ。

 

だから皆も議論の終着点とか目的よりも、相手の論理の矛盾をついて、俺TUEEEしてるんじゃないかなあと。

 

そしていつか気づくと思います。

 

「ネットであれこれ書いても、誰かが書いてる記事を読んでも、布教しても、世の中そんなに良くならないじゃん。」

 

大人になっても。自分が子供の頃に問題だと騒がれていた問題の大半は今でも問題だと騒がれている。

 

結局議論に意味はなかったような気がする。

(毎年へぇ~と思わせてくるような考え方が蓄積されていっているのはすばらしいけどね。)

 

カンボジア的にいうなら、スコールが降ればそれで終わってしまうようなチッポケなことなんじゃないかなあと。

 

私が思うそれなりに問題が解決しそうな方法

 

幸い、今の日本には高等教育まで受けた、教養の基礎に明るい人がたくさんいます。

 

そしてその人達が家族とか、会社とか、色々な形でコミュニティを作っています。

 

フェミニズム問題もクジラックス問題も、そういった小さなコミュニティで賛否を決める程度がちょうどいいんじゃないかなと。

 

もちろん、「わが社では男女雇用機会均等法に反対しますから女性の雇用はしません~」みたいな極端なことをやってもいいんじゃないか?みたいな話ではありません。

 

もう少し小さな問題、「わが社では女性にお茶くみをしてもらうけど、いい?」くらいのことをコミュニティ内で話し合って解決すればいいんじゃないかなということです。

 

こんな小さな問題を国家レベルで話しても、現場に適した法律なんてできるはずがない。

 

クジラックス問題なんて先生の漫画を読んでもなんとも思わない人もいれば、思う人もいるだけですので、こうなると国家レベルで議論したとしても結局は好きか嫌いですからね。

 

家族内とか、大きくても市町村くらいで賛否を決めたらいいんじゃないかなと。

 

その代わりもっと人の移動が自由にならなきゃいけないですよね。

 

う~ん、どうしたらいいかなあと思い悩み続けたり調べ続けていくと、意外と今現在ってバランスが取れててわるくないんじゃない?とわかってくることもあります。

 

少なくともまだ変わるタイミングじゃないなとか、なんとなくでも。

 

これから日本は結論を出すことが求められる

 

2020年以降の人口mの超減少は確実です。

 

となると、あーだこうだ言うだけでなく、妥協点、結論を出すことが求められます。

 

そうなると、今までよりもはるかに深い知識が求められてくることでしょう。

 

私も未だにわからないことたくさんです。

 

労働人口が100人から50人に減るなら、賃金を2倍にするか、年金やら社会保障に今まで50人に払ってた分の給料を振り分ければ悪性インフレにならないんじゃないか?とかね。

 

労働人口が増え続ける前提で)賃金だけ見ると、よく言われる、上がった分リストラか物価に反映されるみたいなのは正しいです。

実際カンボジアがそうなので。

 

ただ、労働人口が移民もなくこのまま減り続けるなら、どうなるのかあと。

(逆に言えば、賃金を上げないから移民を受け入れる気持ちまんまんなんでしょうか。)

 

皆さんも考えて、自分なりの結論を出しましょう。

 

というのを私は小学生のときに初めて言われましたが、

 

今は現実的な妥協できる範囲か、みたいなことを求められる段階にきています。