市川海老蔵プレゼンツな感動エンターテイメントだったんだろうか

どの辺が感動するポイントなんだろう

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私は海老蔵さんとは親しくないし、奥さんの真央さんとも親しくない。

まったくの他人だから、今回の真央さんの死については何とも思わなかった。

ほとんどの人にとって海老蔵さんはまったくの他人だと思う。

 

今回感動したり共感してる人は、新聞の隅とかに「田中太郎(89)死去」とか書かれていても泣いちゃうんだろうか。いや、これは極論か。

 

きっと反論が来る。

海老蔵さんや真央さんが闘病生活をブログにつづっていたから、それを読んでいた人が共感したり感動して泣いてしまっているんだろう。」みたいな。

 

でもそう聞くと私は???となる。

それってもう映画やテレビを見て泣いちゃいましたってのと変わらないんじゃないだろうか。

つまりはラストが死ぬって決まってる感動的なお話をブログで読んでたってことじゃないのかな。

 

人が死ぬことって前からこんなにエンタメだったっけ?

 

悲しそうな顔を見たらこっちも悲しくなるのは正しいけど

 

いや、お前、人が死んでるんだぞ!!悲しいのは当たり前だろ!!みたいに言う人もいるだろう。私の彼女もそういうタイプなので、こういう人は結構いる。

 

確かに海老蔵さんの悲しそうな顔を見ると、彼が嫌いな私でさえ胸が苦しくなる。

 

でも実際に死んでるのはほぼ赤の他人で、新聞に載ってる「田中太郎死去」と意味合いはほとんどの人にとって変わらない。

 

だから思うのはせいぜい「お気の毒様」くらいで、それ以上の共感や同情、感動を寄せている人の気持ちが理解できない。

そしてそんなに共感しているアピールをしているのに、その人もたぶん数日もすればマックでバーガーとLサイズのポテトを150円だからって一緒に頼んで食べるんだと思う。

 

そういう人はもう「感動」が気持ちよくなっているから、何でもいいから感動したくてしょうがないかわいそうな人だと私は思っている。

だから人の死とかそういうわかりやすい情報で、自分の心を感動状態にして楽しんでいる。

味がなくなったら次の感動エンタメを探しはじめるから、本当の感動とは違う感動しか知らない。

感動は他人への、自分の優しい弱者に共感する気持ちを示すアピールにもなっている。

 

海老蔵さんの事がさらに嫌いになったのは、このような感動ストーリーを演出する方向にブログを持っていっている気がしたからだ。

 

ちなみにエンタメを演出していたとしても私が間違っている

 

ですが、仮に海老蔵さんが演出的な表現や描写を意図的にしていたとしても、それは海老蔵さんや海老蔵さんに近い人達が決めたことなので、外野である私がゴチャゴチャ口を出すのが間違っている。

それを勝手に口をだして、勝手に不愉快になっているだけなのだから、人間としては最低レベルにやばい。

 

書いている途中でコレに気づき、やっぱり書くのはやめようかとも思った。

当初は海老蔵さんのことが嫌いなので、アンチ海老蔵グループから共感されそうな記事構成にしていた。

 

そこで方向転換をし、人の死ってこんなに軽かったっけ?エンタメみたいにツイッターとかで、「記者会見感動した。」「マスコミは死ねよ海老蔵を気遣えよ。」みたいな薄っぺらい良い人アピールに使われるものだったっけ?という疑問をたずねるものにした。

 

皆さんそれぞれの意見があると思いますので、よかったら記事をブックマークして、暇な時間にあなたの意見を書いてくれたらなと思います。

その中から何件か抜き出して、追記するか、新たに記事として発表したいと思います。

 

ちなみに私が海老蔵アンチになったきっかけはこち

11代目市川海老蔵暴行事件 - Wikipedia